説明文
昭和7年(1932年)金風呂港から海軍の大砲運搬船「砲運丸」3700トンで、靖国神社大鳥居石材 (直径1.8m、長さ18m他)と大石灯篭他一式を積み出す。これらの石材は、北木の山石工が切り出し、島内の彫刻石屋が島外から招いた彫刻石工たちと協力して加工した。
山石屋が石を掘り出し、彫刻石屋が円柱に加工して船に積み込んだ。山石屋は彫刻石屋の作業の際に不足の事態に備えて予備の石を切り出していた。この石材こそ、予備石として切り出され加工されずに靖国神社に奉納されなかった残念な石ということで「残念石」と呼ばれている。
島の石材採掘の大きな利点が、石切り場から切り出した石をすぐに船に積み込んで東京芝浦まで海路で輸送することができた。これが、内陸部だと輸送するために大きな道を作るなど、かなりのリスクがある。
現在は、漁船の船底掃除の場所に隣接しており、その壁面と化しているため、注意してみなければ見逃すこともある。保存状態もいいとはいえない環境であり、この環境も「残念」という意も込めて「残念石」と言う感じである。かつて、石材協工業組合青年部がこの残念石の移設を検討したことがあるが、移設だけの費用で700万程度必要だとわかり断念した経緯もある。
参考文献
・北木石銘石図鑑より
・「北木を語る」北木ユニオン発行他